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修道生が語る修道
修道で育まれるもの(2)
OB座談会

体育祭や文化祭、班活動、
皆、自由にそして一生懸命に

大坪
あの頃は裸足で走っている者もいたよね。
友廣
いたね。裸足がダメとは言われていないからね(笑)。
大坪
その辺は修道って基本的に自由な学校だと思う。
藤澤
服装でもそうだよね。
大坪
そうそう、服装は自由だったから、夏にわざわざ学生服を着て、冬は半袖を着ているやつがいたよ。人と反対のことをしないと意味がないって言ってね。テストでも、できる問題を解いても意味がないから答案を書かない、できない問題にこそチャレンジだとか言って、結果0点だったなんてやつもいた。
藤澤
バンカラ気質というのかな。それから体育祭の仮装行列も忘れられない思い出だね。今もやっているんだけど、保護者の方々がすごく喜んでくださるよ。
友廣
どんな仮装にするか自分たちで考えてね。それが楽しかったよ。その頃はコント赤信号が流行っていて、その真似をしたと思う。何が流行りで楽しいかという基準で決めたんだ。
大坪
出番の前にデパートの化粧品売場に行って、販売員の女性に化粧をしてもらって、それで自転車で学校に帰ってきて仮装行列に出場したことがあったなあ。
藤澤
体育祭を抜け出して?
大坪
よく覚えていないけれど、そうだろうね。
友廣
仮装行列は午後の最初だったから、昼休みの間に抜け出したのかな。
大坪
テーマは自由だから、女子高校生の格好をして修道生に追いかけられるというシチュエーションを演じてね。それで、熱演賞をもらったよ。
友廣
追いかけられっぷりが良かったから熱演賞だったのか。
大坪
きっとそうだろうね(笑)。
友廣
女装コンテストもあったよね。あれには1回だけ出た覚えがあるよ。
藤澤
今は文化祭の最後が女装コンテストで、大いに盛り上がっているよ。友廣は賞はもらえたの?
友廣
いや、もらえなかった。それより、僕にとってはサッカーの方が重要だったから(笑)。とにかくサッカーに明け暮れる毎日だった。これでも、国体に出たんだよ、県代表で。
大坪
それはすごいじゃないか。
友廣
一応、サッカーだけはちゃんとやっていたから(笑)。何と言っても、僕の修道時代の一番の思い出はサッカーだな。

1982(昭和57)年に、友廣さんがくにびき国体(島根県)に
出場した時のユニフォームとメダルです。

藤澤
僕自身が修道生だった時には、自由で大らかで、好きなことをやっていい校風だと思っていた。でも、何をやっても許されるという単純な意味ではなかったと、教員になってわかったよ。生徒には、まず各自で考えさせ、自由にやらせる。そしてある一定のラインを超えて、羽目を外しすぎたら教員がストップをかけていたということ。当時は気づかなかったけれど、それだけ教員が生徒一人ひとりをしっかり見つめているってことなんだと実感するよ。それに、生徒に考えさせるということにも意味がある。修道にはほとんど校則がないけれど、それは、なすべきことを生徒自らが考え、行動することを求めているからなんだ。
友廣
社会的に許されないことは駄目ということだろうね。とにかく皆、個性的だったなあ。
大坪
卒業後の職業も、レストランのオーナーとか、医者やプロゴルファーに、はたまたアナウンサーと、本当に多士済々という感じだね。
  • Profile

    友廣 和照さん

    1983(昭和58)年卒業。中央大学理工学部卒業。積水樹脂株式会社勤務を経て帰広。家業である友鉄工業株式会社に入社。その後、取締役社長に就任し現在に至る。修道時代はサッカー班に所属し、中高それぞれのチームでキャプテンを務めた。広島県代表に選出され、国体への出場経験も持つ。

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