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修道学園は1725(享保10)年、広島藩主浅野吉長(よしなが)が白島稽古屋敷の一部に「講学所」を創始したことを起源としています。また、「修道」という校名は、広島藩7代藩主・浅野重晟(しげあきら)が城内三の丸に開設した「学問所」を、1870(明治3)年に12代藩主浅野長勲が城内八丁馬場へ移して「修道館」と称した時に始まりました。中庸(儒教の経典「四書」の1つ)の「天の命ずる これを性といい、性に率う これを道という」に続く「道を修むる これを教えという」のことばから名づけられました。
1725(享保10)年 | 11月4日 | 広島藩5代藩主浅野吉長は白島稽古屋敷の一部に「講学所」を創始し、寺田臨川に学政を総督させる。 講学所の基本方針として「学規三則」を示す。 (広島藩藩校の創始・創立記念日の由来) |
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1734(享保19)年 | 12月 | 「講学所」を「講学館」と改称する。 |
1743(寛保3)年 | 10月 | 経費節減令によって「講学館」が休学となる。 |
1782(天明2)年 | 2月 | 7代藩主浅野重晟により「学問所」が広島城内三の丸に興される。 |
1863(文久3)年 | 山田養吉(号は十竹)を登用する(塾頭に任じられる)。 | |
1870(明治3)年 | 8月 | 学制を改革し、学問所を城内八丁馬場に移し、新たに「修道館」(修道学園の名称の起源)と称する。 |
1871(明治4)年 | 廃藩置県のため休業となる。 | |
1878(明治11)年 | 6月 | 12代藩主浅野長勲が泉邸内に「私立浅野学校」を設立。(「修道館」の継承) |
1881(明治14)年 | 11月 | 学制を改革し、山田十竹を校長とし、「修道学校」と改称する。 |
1886(明治19)年 | 4月 | 山田十竹は「修道学校」の経営を浅野家より引き継ぎ、自宅で教授する。 |
1905(明治38)年 | 4月 | 水山烈を設立者とし、「財団法人私立修道中学校」発足。水山烈、初代校長となる。 |
1907(明治40)年 | 1月 | 南竹屋町へ移転。 |
1926(大正15)年 | 3月 | 南千田町に移転し、現在に至る。 |
1938(昭和13)年 | 11月 | 初代「敬道館」の建設。山田十竹の銅像を建立。学園創立200年記念式典。 |
1945(昭和20)年 | 8月 | 原爆により校舎の大部分が倒壊する。 |
1947(昭和22)年 | 4月 | 学制改革により新制中学校を設置。(現修道中学校) |
1948(昭和23)年 | 5月 | 新制度による修道高等学校を設置。 |
1957(昭和32)年 | 11月 | 学園創始233年、私学80年を記念して「修道学園史」刊行。 学園創始233年、私学80年記念式挙行。 |
1978(昭和53)年 | 10月 | 学園創始253年、私学100年式典。「修道学園史」刊行。 本館・体育館等の新築、既設校舎・プール等の大改築。 |
1995(平成7)年 | 4月 | 学校週5日制(月2回土休)を実施。 |
8月 | 被爆50周年慰霊式典実施。記念誌「流光」刊行。 第二次世界大戦後50年にあたり、平山郁夫画伯より「原爆ドーム」の絵画の寄贈を受ける。 |
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1999(平成11)年 | 11月 | 校舎建て替え工事着工。 |
2000(平成12)年 | 7月 | 北館完成。(第1期工事) |
2001(平成13)年 | 7月 | 南館(西)完成。(第2期工事) |
2002(平成14)年 | 7月 | 南館(東)完成。(第3期工事) |
2003(平成15)年 | 3月 | 新敬道館完成。(第4期工事) |
4月 | 制服の改定。学校週5日制を実施。 | |
5月 | テニスコート・球技コート・弓道場完成。(第4期工事) | |
8月 | メイングラウンド改修工事完了。(第4期工事) | |
9月 | 平山郁夫画伯創作の原画「希望の光り 安芸の小冨士」の陶版画が同窓会より寄贈される。本館ロビーに設置。 | |
2008(平成20)年 | 8月 | 本館耐震化および改修工事実施。 |
2010(平成22)年 | 3月 | 総合体育館完成。 |
2011(平成23)年 | 4月 | 「修道開祖の恩人十竹先生物語」刊行。 |
2012(平成24)年 | 4月 | 「修道学問所之蔵」(旧広島城郭内の蔵)移築・復原工事が始まる。 |
11月 | 「修道開祖の恩人十竹先生物語」改訂版刊行。 | |
2013(平成25)年 | 9月 | メイングラウンド人工芝工事、球技コート改修工事完了。 |
2014(平成26)年 | 8月 | 「修道学問所之蔵」完成。 |
2017(平成29)年 | 3月 | プール完成。 |