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親子三代“修道魂”(1)
家族インタビュー

益永 叡さん(1年)ご家族

祖父・父・子の三世代にわたって修道生であるご家族に
修道に対する思いや学校生活で得たものなどを伺いました。

  • 祖父・益永 茂治さん(13回生)
  • 子・益永 叡さん(76回生)
  • 父・益永 英治さん(41回生)

修道を選んだ理由

茂治さん(祖父)
両親とも広島市の出身でしたが、海軍技術士官だった父の仕事の関係で、終戦間際は鎌倉市に住んでいました。しかし空襲の激化に伴い、山口県にある母方の祖母の家へ疎開し、終戦を迎えました。柳井市の中学校を卒業しましたが、両親はいずれ広島に帰るつもりだったので、高校は広島へということになりました。そこで母方の叔父の母校であり、2歳上の従兄も通っていた修道高校を目指すことになったのです。
英治さん(父)
今と違って情報の多い時代ではないですし、文化祭やオープンスクールなどで学校を知るという体験もなかったのですが、父の母校であることや江戸時代から長く続く伝統校であることが、小学生当時の私にとって魅力的でした。ですから「他の私学に受かっても絶対に修道に行くぞ!」と思っていました。
叡さん(子)
祖父や父の出身校ということもあって、小学3年生の時に初めて修道の文化祭に行きました。お兄さん達にゲームコーナーで「修道に来いよ」と声をかけてもらったり、生物班の見学ではわからないことを優しく教えてもらったりしました。また毎年いろいろな場所に行って生き物と触れ合ったり、学校で生き物を飼育したりする生物班の活動も楽しそうで、自分も入学したいと考えるようになりました。

現在の北門は、祖父・茂治さん、父・英治さんの在校時は、正門として使われていた。「当時の校舎で印象深いのは講堂兼体育館。食堂も併設されていて、昼休みにはすぐ売り切れになる焼きそばランチを食べるために、毎日ダッシュしていました。他の校舎に比べればまだ新しかったと思いますので、今の校舎に改築された際に建て替えられたのは残念」と父・英治さん。

受験勉強で苦労したことや工夫したこと

叡さん(子)
苦労したことは小学6年生の夏休みに、普段の学校の授業と同じくらいかそれ以上の時間をかけて勉強したことです。工夫したことは、塾の定期テストで間違えたところをその日のうちに復習するように心がけたことです。またテスト前には自分の理解できていないところを、父から「総特訓」としてわかりやすく教えてもらって理科や社会の成績が上がり、自信がついたことが印象に残っています。

修道に入学して良かったと思うこと

叡さん(子)
授業中に先生が雑談をされることがあるのですが、息抜きになるだけでなく、雑談を通して授業の内容にさらに興味を持てるようになることです。入学前は、小学校と違って中学校の授業は厳しいだろうなと思っていましたが、楽しくて面白いので意外でした。特に内藤先生が教えてくださる幾何はわかりやすく、好きな科目になりました。また中学校からは、たとえば地理や歴史などに科目が細かく分かれるので、それぞれの分野を深く学べるのも面白いです。
班活動では文化祭で見学した生物班で、同級生の班員と一緒にハムスターやカメの世話をしています。生き物が好きなので楽しく活動しています。
茂治さん(祖父)
高校の3年間で80人くらいの人と知り合いましたが、半数くらいの人とは卒業後も同窓会や同期会を通じて生涯の友となっています。また、担任の先生方はもう故人となられましたが、私たち教え子を長く気に掛けてくださっていました。こうしたことに修道の「絆」を実感しています。卒業50周年を機に13回生の同期会で、各自で保管している修道時代の写真や寄稿文を集めた記念誌を制作することになり、私も編集委員として参加しました。制作活動を通じて、高校入学生だった私も中学時代からの絆を感じるようになっています。
英治さん(父)
他校に比べて校則が少ないと言われる修道ですが、代表的なものは服装に関すること。私の在校当時、制服は基準服と呼ばれていましたが、高校生は普段は私服も許可されているところを、式典などのイベント時は言われずとも基準服を着用していました。学校生活に自由が多いことで、自分の行動が規範に照らしてどうあるべきかを判断し、場面に応じて主体的、柔軟かつ適切な対応をとる力を自然に身につけられたと感じています。

祖父・茂治さんら同期生4人が編集委員となって刊行した記念誌『古稀の絆』。卒業後半世紀を経たとは思えないほど多くの資料が寄せられたのは、まさに“絆”がなせる業。茂治さんの学年バッジは黄色、英治さんは白色、叡さんは金茶色と各々異なる学年色だ。なおこの記念誌は、本校図書館にも寄贈されている。

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