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去る8月21日に閉幕したリオデジャネイロオリンピックにおいて、本校卒業生の山縣亮太選手(2011年3月卒業)が陸上男子400(4×100)メートルリレーで、見事銀メダルを獲得しました。山縣選手は第1走者として得意のスタートダッシュを決め、同競技日本史上初の銀メダル奪取に大きく貢献しました。
そして快挙の興奮冷めやらぬ9月6日、山縣選手が母校・修道に凱旋。総合体育館メインアリーナに全校生徒・教職員が集まり、山縣選手とともにその偉業を振り返った「山縣亮太選手 銀メダル奪取を祝う会」の模様をお届けします!

2016年9月6日

修道中学校・修道高等学校本館壁面には、班活動で活躍した在校生とともに、リオ五輪での山縣選手の偉業を称える懸垂幕も掲出されています。

15時20分

総合体育館で、先生達とメダルを囲んで談笑しながら開会を待つ山縣選手。授業を終えた生徒達はメインアリーナに集結し、山縣選手の登場を今や遅しと待ち構えます。

15時30分

山縣選手が登場し、リオでの快走をプレイバック。

スクールバンド班の演奏がメインアリーナに響き、リオ五輪日本選手団の公式服に身を包んだ山縣選手が登場すると、会場は一気にヒートアップ! 割れんばかりの拍手と歓声が響く中、花道を通って山縣選手がステージへ進みました。

最初のプログラムは、陸上部参与の松澤 慶久先生による、リオ五輪陸上男子100メートル準決勝と、同400メートルリレーの解説です。

「100メートル準決勝は、ボルト選手と同じ組で走ることになりました。予選から準決勝に向けてタイムを上げるために、山縣選手は走りを変えたそうです。前半は低い体勢で、中盤から顔を上げて最後まで走り、10秒05の自己ベストを出しました。

次は400メートルリレー決勝の映像です。スタートが得意な山縣選手ですが、こうしてレーンを見ているとカーブを走っていますから、どうしても重力によって外に振られます。しかしうまくカーブを回って、第2走者の飯塚選手にバトンを渡してくれました。そして次の桐生選手から第4走者のケンブリッジ選手にバトンが渡りますが、ボルト選手とバトンがぶつかり、少し離されます。しかしアメリカの前でゴール!見事銀メダルを獲得しました。結果を知っていてもハラハラドキドキする映像ですが、1走を任されてバトンをつなぐということは、大変な精神力だと思います。その重責を果たし、また100メートルでは自己ベストを出した今、次の目標が明確になったと思います。その話は後ほど、校長先生からしっかり聞き出してもらいましょう。」

15時35分

在校生代表が、お祝いの言葉と花束を贈呈。

次に、陸上班班長の川藤 智徳さんがお祝いの言葉を贈りました。「山縣先輩、リオデジャネイロオリンピックでの銀メダル、おめでとうございます。リレーの華麗なるバトンパスにとても感動しました!僕たち陸上班も山縣先輩を目標としてこれからも頑張りますので、先輩は日本人初の9秒台と東京オリンピックでの金メダルを目指し頑張ってください。応援しています!」
そして生徒会長の洪 秀有基さんから花束を贈呈された山縣選手からは「僕は修道で過ごした6年間で強くしてもらった、自分は強くなったと思っており、とても感謝しています。東京オリンピックでも頑張りますので、皆さんも自分の夢に向かって頑張ってください。今日はありがとうございます!」と、お礼の言葉をいただきました。

15時40分

田原校長が山縣選手の強さの秘密に迫る!

競技への熱い思いや後輩達へのエールなど、山縣選手の“修道魂”が随所に感じられるインタビューに、会場は大いに盛り上がりました。

田原校長
今回のオリンピックで “世界の山縣”になったから、もう気安く名前を呼べないな(笑)。さて、本題に入りましょう。山縣選手のスタートは世界一速い。ピストルが鳴って動くまでの反応時間は0.1秒が限界とされている中で、彼は何と0.109秒! なぜそんなに速いのか尋ねると、彼は「ピストルの音を“毛穴”で聞く」と答えたのです。これはどういう意味なのか、直接本人から話してもらいましょう。
山縣選手
ピストルの音を耳で聞いて出ようとすると、どうしても遅れてしまう。そこで速いスタートを切るために僕が実践しているのは、“反射で出る”こと。そのためには集中力を高く保ち、肌の表面で音を捉えるくらいの感覚が必要です。そしてその肌にあるのは毛穴ということで、「毛穴でピストルの音を聞く」というのが僕のスタートの秘訣になるわけです。
田原校長
なるほど。よし、明日から生徒達も授業は毛穴で聞くように(笑)。集中することの大切さがよくわかる話だね。そしてもう一つ、私が感動を覚えることがあります。修道時代に多くの大会で優秀な成績を収めた山縣選手には、いくつかの有名大学から「ぜひ山縣君に入学してほしい」と誘いがきました。しかし彼は、自分が目指した慶應義塾大学を受験して入学したのです。しかも大会日程の都合で前期試験が受けられず、後期試験1回きりのチャンスで見事合格したのです。やはり伝説になるような人間というのは、2つ道があった時、必ず困難な方を選びます。これは人生の哲学ともいうべきものだと思うのですが、山縣君はどう考えていますか?
山縣選手
そうですね、田原先生がおっしゃるとおりで、僕はいつも自分が試されているのだと考えています。自分の価値を下げないためには、難しいことに対して常にチャレンジをする姿勢が必要だと思っています。実は大学入試も“崖っぷち”だったのですが、慶應の後期試験1本でいきました。
田原校長
慶應に受からなかったらどうするつもりだったの?
山縣選手
その時は東大を目指そうかと思っていましたが、たぶん合格しなかったでしょうね(笑)。
田原校長
慶應義塾大学は素晴らしい大学ですが、陸上部(競走部)自体は飛び抜けて強豪ではないという環境で、山縣選手は自分のフォームをビデオで録画して、一人で黙々と研究と練習を繰り返していた。これは孤独な闘いだっただろう?
山縣選手
はい、友達から話しかけづらいと言われたこともありましたしね…。でも自分の競技を突き詰めるためには高い集中力を保たなければなりませんし、他の人が届かないレベルに到達したいという思いがあってそういう道を選んだので、孤独に感じるのは仕方がないことです。
田原校長
さて、いよいよ次は100メートル9秒台を期待されているね。今はとても調子が良さそうだけど、次の大会への意気込みなどを聞かせてくれるかな。
山縣選手
9月24・25日に、大阪で開催される全日本実業団(対抗陸上競技選手権大会)で、100メートルに出場します。リオでつかんだ良い手応えを、結果につなげるべく、9秒台を狙っていこうと思っています。実は練習でも200メートルで自己ベストを記録するなど、調子はかなり良いのでちょっと期待していてください。
田原校長
それは心強いね。さて先ほどの挨拶にもあったけど、君は修道で中学・高校時代を過ごし、広島の山縣、日本の山縣、そして今や世界の山縣になった。その山縣君から見て、修道の良さはどんなところにあるか、教えてくれるかな。
山縣選手
修道は、良い意味で自由な場所だと思います。生徒の皆さんも将来、親の手を借りずに、自立しなければならない時が来ますが、その時になってどうしたら良いかわからないというのではなく、学生のうちから、例えば勉強で良い成績を収めるためにはどうしたら良いか、あるいは先生に注意されない範囲で服装や髪形にこだわってみる(笑)など、修道には自分で考えてチャレンジできる環境があると思います。分野を問わず、必ず将来の糧となる経験が得られることが修道の強みだと思います。
田原校長
とても良いことを聞きました。生徒達も今日の話を頭に入れて明日からの生活を頑張りましょう。最後に、改めて皆さんと一緒に大きな拍手で山縣選手を激励したいと思います。
山縣選手
ありがとうございました!

15時55分

校歌を全員で斉唱し、閉会へ。

壇上で山縣選手・田原校長・山田高校教頭が肩を組み、スクールバンド班の伴奏で、全校生徒とともに修道の校歌を歌いました。そして生徒達は花道を通って退場する山縣選手を万雷の拍手で見送り、閉会を迎えました。

閉会後、山縣選手がメイングラウンドを訪れ、100メートル走路で練習中の陸上班を激励しました。憧れの偉大な先輩と対面し、後に続けと生徒達の意欲が一段と高まったようです。

  • Profile

    山縣 亮太(やまがた・りょうた)

    2011年 修道高等学校卒業、2015年 慶應義塾大学総合政策学部卒業
    セイコーホールティングス所属

    1992年生まれ。広島市出身。幼少期からスポーツ少年だったが、小学校高学年から陸上に専念し、修道中学校・修道高等学校でも陸上班に所属。高校時代には国体、日本ジュニア優勝をはじめ、各大会で好成績を収めた。慶應義塾大学では体育会競走部に所属し、在学中の2012年にロンドン五輪に出場。陸上男子100メートルで準決勝進出、第1走者を務めた4×100メートルリレーでは決勝に進出し4位入賞を果たした。16年のリオ五輪では100メートル準決勝で自己ベストの10秒05をマーク。また、ロンドン五輪に続き第1走者として臨んだ4×100メートルリレーでは、37秒60のアジア新記録を樹立して銀メダルを獲得。トップスプリンターとして日本人初の100メートル9秒台の達成が期待されている。