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 (1833〜1901) (1842〜1937)山田十竹浅野長勲03浅野 長武 筆修道について学校案内教育方針WEB修道学園は1725(享保10)年、広島藩主・浅野吉長(よしなが)が創始した「講学所」を起源としています。修道学園は1725(享保10)年、広島藩主・浅野吉長(よしなが)が創始した「講学所」を起源としています。「修道」の校名は、1870(明治3)年に、12代藩主・浅野長勲(ながこと)が「修道館」と称した時に始まりました。「修道」の校名は、1870(明治3)年に、12代藩主・浅野長勲(ながこと)が「修道館」と称した時に始まりました。中庸(儒教の経典「四書」の一つ)の「天の命ずる これを性といい、性に率う これを道という」に続く中庸(儒教の経典「四書」の一つ)の「天の命ずる これを性といい、性に率う これを道という」に続く「道を修むる これを教えという」から名づけられたものです。「道を修むる これを教えという」から名づけられたものです。廃藩置県により藩校「修道館」が廃止された後も、私財を投じて「浅野学校」を設立するなど、廃藩置県により藩校「修道館」が廃止された後も、私財を投じて「浅野学校」を設立するなど、浅野長勲は広島の教育に大きな功績を残しました。浅野長勲は広島の教育に大きな功績を残しました。そして長勲から学校を受け継ぎ、多くの困難の中で存続させたのが、そして長勲から学校を受け継ぎ、多くの困難の中で存続させたのが、藩校の元教師であった山田十竹(じっちく)でした。藩校の元教師であった山田十竹(じっちく)でした。十竹は「人材なければ国盛んならず」の信念のもと、今日まで続く修道の礎を築きました。十竹は「人材なければ国盛んならず」の信念のもと、今日まで続く修道の礎を築きました。

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