修道学園・学校案内2021
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07北村 直幸さん1987年修道高等学校卒業1993年広島大学医学部卒業 株式会社エムネス 取締役副会長(創業者)霞クリニック 院長僕の原点は1年生の林間学校での三瓶山登山と、4年生での藤田昌信先生との出会いにあります。三瓶山での経験はワンダーフォーゲル班に入るきっかけとなり、藤田先生が自転車でアメリカ大陸横断に挑戦されたお話を伺ったことで、自分とは無縁の遠いものだと思っていた「海外」「冒険」「挑戦」への心の扉が開かれ、後のオーストラリア大陸徒歩縦断の起点となりました。修道から松江まで200kmを踏破する班活動の際、藤田先生に同行していただいたことを機に班の顧問になっていただき、以後修道ワンダーフォーゲル班はインターハイ常連校へ、そして6回の全国優勝へと導かれていきました。僕のライフワークは「あるきにすと」。アルピニストをもじったものですが、自己資金で世界各地の砂漠・原野の徒歩横断や登山に挑戦しています。たとえばたった一人の砂漠で予想外の困難に遭遇した時、話が違うと誰かのせいにしても解決にはつながりません。それよりも、今、目の前にある困難を、自分ひとりで打開する道を探る方が先です。すべてを自分で考え、自分で責任を負って冒険を成し遂げた時、他では味わえない達成感を感じることができます。修道は生徒が多少枠を外れても、大きく見守ってくれる学校です。「自分で考え、自分から動く」人間を育ててくれる修道に入学し、皆さんにも世界にはばたき挑戦をしてほしいと思います。私は股関節を専門領域とする整形外科医です。医師になり40年以上が経過した現在も、日々患者さんの診療に当たっています。医師という職業には、医療技術はもちろん、患者さんに寄り添う心も求められます。私は治療方針を決める際、患者さんに対して単に同意を得るのではなく、複数の選択肢を提示します。そしてそれぞれの利点・難点を説明し、患者さん自らが選べる診療を目指しています。患者さんにとっての最善を追求する医師でありたいと肝に銘じています。修道では多くの大切な出会いがありました。最初の医学部受験で失敗し、勉強に身が入らなくなっていた時期に叱ってくださった先生、そして現在でも交流がある友人たち。私は修道医会(修道出身医師の同窓会)で顧問を務めていますが、医会に限らず修道の同窓会には、発想がユニークで社交性に富んだ人材が多く、社会に出てからもお互いに助け合うムードがあります。医師は病気やけがに苦しむ方々の回復に貢献できる、すばらしい職業です。中高の多感な時期を「知徳併進」の教育方針の下で学び、学力と患者さんの痛みがわかる心を備えた、志ある医師が誕生することを願っています。CTやMRIといった検査画像を読み解く(読影する)画像検査専門クリニックの院長と、放射線診断医が在籍していない医療機関の読影を遠隔で請負う画像診断センターの取締役を兼任しています。また、読影に係るクラウドシステムの開発や人工知能(AI)を用いた画像診断支援システム構築にも携わっています。私の原点は幼い頃、祖父に「人のためになる仕事をしろ」と言われたことです。放射線診断医は、病気の早期発見や良悪の判定等を通して、患者さんや同僚の医師を助けるというやりがいのある仕事です。そしてICT技術やAIで医療の発展に貢献したいという使命感と誰もやっていないことにチャレンジする冒険心が私の原動力。修道の校歌にある「知徳併進経となり質実剛健緯となる」の教えが、医師として、経営者としての礎となっていると感じます。そして「世の進運にさきがけん」の教えは常に私の背中を押してくれます。修道は私にとって育ての親、人生の師のような存在。皆さんにもこの学校で他者を敬える人間性と、何があってもへこたれないたくましさを備えた男を目指してほしいと思います。頼りがいのある多くの先輩が新たな仲間を待っていますよ。整形外科医として臨床医療のフロントに整形外科医として臨床医療のフロントにICTとAIで医療の〝進運にさきがけん〞ICTとAIで医療の〝進運にさきがけん〞岩森 洋さん1966年修道高等学校卒業1974年広島大学医学部卒業 中国電力株式会社中電病院 顧問修道医会 顧問〝あるきにすと〞として世界各地の徒歩旅行や登山に挑戦〝あるきにすと〞として世界各地の徒歩旅行や登山に挑戦中村 憲二郎さん1989年修道高等学校卒業1993年横浜国立大学教育学部(現 教育人間学部)卒業 冒険家

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