修道学園通信【春号】 vol.100
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The Shudogakuen News vol.1002卒業特集年  度201120122013201420152016学  年123456学年主任竹川  誠竹川  誠磯邉 悌志磯邉 悌志竹川  誠竹川  誠1 組嶋田  勉嶋田  勉尾和田 早世尾和田 早世安本 芳朗松川  聡2 組上杉 裕子惠島  聖山田 英輝山田 英輝松川  聡町  一誠3 組吉村 誠司吉村 誠司山光  徹山光  徹町  一誠安本 芳朗4 組池田 健太池田 健太西村 博人西村 博人中高下 亨内藤 弘泰5 組森山  透森山  透藤島 真介藤島 真介吉村 誠司中高下 亨6 組清原 真琴清原 真琴矢野 真司矢野 真司西川 省吾吉村 誠司7 組内藤 弘泰森脇 啓介8 組西川 省吾●祝 卒 業 第69回の生徒のみなさん、御卒業おめでとうございます。また、保護者の皆さま、ご子息のご卒業を心より祝福申し上げます。修道での生活を終え、社会に旅立つ卒業生のみなさんに、祝福のメッセージを贈りたいと思います。 元イタリア代表のロベルト・バッジョという有名な元サッカー選手がいます。1994年のサッカーワールドカップ大会のブラジルとの決勝が、史上初のPK戦となったときのことです。バッジョは最終キッカーとして登場しましたが、まさかのミスキックでイタリアは優勝を逃してしまいました。現在は引退して世の中のために様々な慈善活動等を行っているようですが、バッジョの発した名言をここで紹介したいと思います。 「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」 深い意味を持つ言葉であり、様々なとらえ方ができる言葉でもあると思います。結果が自分自身のみに及ぶ失敗は誰でも日常的に経験します。しかし、多くの人間の感情を巻き込み、またある集団の運命を左右するような失敗は、一般的な人生の中ではごく稀なことだといえます。バッジョの名言に関する解釈をここで説明するつもりはありません。ただ、この名言が語っている人生に対する姿勢というものは、みなさんの近未来の一つの指針になるような思いがしたのです。 昨今、教育界の中では、世界の知識人の言葉を引用して、今の教育の危機を叫ぶ声をよく耳にします。「自動化により仕事がなくなる。人工知能が人間を追い越す。だから人間はよりクリエイティブにならなければならない。」しかし、この主張を述べている人は結局は近未来の研究者の発した情報をそのまま伝言しているだけで、自分で近未来の確証をもって述べている人はいないと思います。だから国策の教育改革も、そのゴールイメージが決して鮮明とはいえない状態です。予測できない近未来に対して、世の中全体が漠然たる不安を抱いている中、誰もPKを蹴る勇気を持つことが出来ずに静観しているのです。 周りに影響を与えるような重大な失敗をしないと見えてこないものが必ずあるはずです。PKを外したバッジョは、大会後に様々なものを突きつけられて深い挫折の中で様々なことを自己に問いかけたと述べています。バッジョの人生に対する姿勢は大きく変化していきました。対峙する強大な化け物に挑戦する勇気を持った者だけが獲得できる重大な失敗、その失敗からバッジョは人生の真実に出会ったのだと解釈します。みなさんがこれから大学に進学し、そして社会の一員としてそれぞれの役割を担ったときに、修道の生活で培った柔軟で且つ強靱な精神を発揮して、現代の混迷を救済する勇気あるPKを思いきり蹴ってほしいと願っています。 そういえば、あのアインシュタインも述べています。 「間違いを犯さなかった人とは、新しいことに挑戦しなかった人のこと。」最後に、本校の教職員を代表して、ここに第69回の生徒諸君の卒業を心より祝福し、一人ひとりの将来にエールを送り、お祝いの挨拶といたします。●修道69回生に贈る 諸君が修道生活の最後を過ごした2016年度にも様々な出来事があった。オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の真珠湾訪問など政治向きの話題も多かったが、やはり記憶に残るのは、リオデジャネイロ五輪での山縣亮太先輩の活躍をはじめとするスポーツの話題だろう。黒田博樹投手の日米通算200勝達成、新井貴浩選手の2000本安打・300本塁打、そして広島東洋カープの25年ぶりセリーグ制覇などなど、広島が真っ赤に染まる印象深い年でもあった。 それらの派手な(?)話題の陰にかくれた科学の話題二つを覚えているだろうか。113番元素が「ニホニウム」と命名されたこと、そして、大隅良典氏がオートファジーの仕組みの解明によりノーベル医学生理学賞を受賞したこと、の二つである。「113番元素」とは何たるか「オートファジー」とは何ぞや… 私にはまるで理解できないが、良典氏の実兄である大隅和夫氏は日本思想史では大変有名な研究者で、氏の研究論文・著書には学生時代に度々お世話になった経験もあり、兄弟がそろって異なる分野で活躍していることに少なからぬ興味を抱いた。 兄の和夫氏は良典氏を評して「自分の好きなことをやり続けてあんな賞をもらえたのだから、本当に幸せだったと思う」と述べており、良典氏自身も「私の研究は当時の流行では全くなかった。謎を解明する方が、流行の研究をして他の研究者と競争するよりずっと面白いと思った」と述べている。まあ、兄の和夫氏の研究も『愚管抄を読む~中世日本の歴史観~』とか『方丈記に人と栖の無常を読む』などの書名が示すようにかなり専門的なもので、兄弟そろって好きなことをとことん突き詰めた研究人生だといえるのではなかろうか。 しかし、「好きなこと・面白いことをやり続ける」というと簡単そうで聞こえは良いが、実はこれがたいそう大変なことなのである。「好きなこと=世の中に受け容れられること」ではない。もちろん「好きなこと=将来が保障されること」ではさらさらない。「好きなこと」を続けるためには妥協しない強固な意志、富や名声・収入や安楽よりも「面白さ」を追い求める純粋な探究心が絶対に必要となる。それこそが、この兄弟に共通する資質なのだろう。 もちろん私はここで、君たちに「名誉も収入も捨てて好きなことに邁進せよ」などと勧めているのではない。ただ、これからの人生で岐路に立ち自分の選択や進路に思い迷う事柄にぶつかった時、その時には少し立ち止まり、目先の損得ではなく「面白い」と思える道を選んでみるのが良いのではなかろうか、と思うのである。「面白さ」は心を豊かにしてくれる。少々の苦労は忘れさせてくれる力を持つ。君たちにとって修道での3年間もしくは6年間は「面白い」時間だったのではないか? 「面白かった」からこそ今日の自分があるのではないか? 君たちには、修道をそして親元を離れた新しい生活が待っている。新しい生活の場でも、是非「面白い」時間を追い求めてほしい。私は君たちが恒に「面白い」ものを追い続け、豊かで充実した人生を送ってくれることを祈ってやまない。そして、時々は修道という学校を、ともに暮らした友達との「面白かった」記憶を思い出してほしい。修道はいつまでも君たちの母校である。いつまでも君たちの故郷であり続ける。旅立ちは「面白く」、そして、これから無限に広がる君たちの「面白い」人生に…カンパイ!!校 長 田原 俊典6年学年主任 竹川  誠■ 69回生 歴代学年主任・担任一覧

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