修道学園通信【春号】 vol.100
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The Shudogakuen News vol.10010 291年祭と言っていますが、いつを起点としているのでしょうか。知っていますか。5代藩主浅野吉よし長ながが内白島の稽古屋敷に講学所を設けて儒者の寺てら田だ臨りん川せんに督とく学がくさせた、今流に言えば校長に任命した享保10年、1725年11月4日を起点としています。そこから今年が291年目に当たるわけです。藩校は1743年から休止されましたが、天明2年(1782)7代藩主浅野重しげ晟あきらの時、学問所として再興されました。その学問所は城内の三の丸、現在残っている内堀の外、高等裁判所あたりになります。そして明治3年(1870)8月、八丁馬場の浅野忠ただ英ふさの旧邸あとに移されて修道館と呼ばれました。現在の市立中央図書館の辺りになります。この藩校・修道館が明治4年(1871)廃藩置県によって閉館になり、藩校の歴史は終わります。それなのに現在の修道中学校・高等学校が藩校の流れを汲んでいる、291年の歴史をもっているというのはどうしてなのか。卒業生の中にもこの点について疑問をもち、尋ねられたこともありました。 本日は、中学1年生のみなさんがたくさん聴きに来てくれています。大変うれしく思います。平成23年(2011)[翌年改訂]修道学園史研究会の者が作成した「十じっ竹ちく先生物語」という冊子を校長先生のご配慮で創立記念式の日に全校生徒に配布し、お話をさせていただきました。その「十竹先生物語」にはいま述べた藩校の流れを受け継いでいることについて少し触れております。その後、この「十竹先生物語」を授業で取り上げてくださっております。今年も中学1年の学年で5月の道徳の時間に学習され、その一環として記念品室の見学学習がありました。その際の学習に質問等に応じて欲しいとの要請がありましたので参加させていただきました。先生方の真摯な取り組みと生徒のみなさんの真剣な学習態度に感動いたしました。そうした学習があって本日こうして多くの中学1年生が聞きに来てくださっているのだと思います。 修道館が廃止になった後に、藩校の精神を現在に伝える上で大切な方が二人おられます。 一人は、修道館閉鎖後、藩校の精神を伝えようとして浅野学校を私費で創設された広島藩最後の藩主浅野長なが勲こと侯。その学校は修道学校と改称されます。もう一人は、長勲侯から校長に抜擢された山田養よう吉きち先生です。のちに独力で修道学校を経営されます。このお二人が私学修道開祖の恩人であります。 わたしが退職しました2004年の5月に山田養吉先生のお孫さんに当たられる方から日記をはじめ、掛け軸・色紙・印章などが寄贈され、その整理を依頼されました。ここから日記解読の仕事を始めたのです。日記は既に修道に保管さていたものと寄贈されたもとを合わせて9冊あります。1冊が一年分の日記ばかりではなく、何年かをまとめて綴じられているものもあります。そのうち5冊が寄贈されたものです。現在保管されている日記で、年代的に一番古いのは元治元年(1865)の「乙丑(いっちゅう)日記」です。そして一番終わり「山田養吉先生の日記」2016年10月30日に行いました291年祭特別記念講演会の講演内容を掲載しています。演 題:山田養吉先生の日記後援者:修道学園史研究会 会長 畠 眞實先生(元修道中学校・修道高等学校校長)場 所:修道中学校・修道高等学校 本館1階会議室修道歴史の

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