修道学園通信Vol.98
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The Shudogakuen News vol.9810広島城城郭内の広島藩学問所にあったと思われる土蔵が修道中学校・高等学校の敷地内に移築・復原され、竣工式が2014年11月25日に行われました。この土蔵の移築・復原にあたり、修道学園同窓会が創設100周年の記念事業の一環としてその費用を募金によって賄おうとして募金活動の中心となり保護者・学校関係者・法人等から5000万円を超える資金を集められました。このことに深く感謝申し上げたいと思います。この広島藩の学問所は1782年(天明2)広島城内の三の丸に再興されました。藩校の始まりは、1725年(享保10)、広島藩5代藩主・浅野吉長が内白島に諸芸稽古屋敷を創設された時とされております。そして1743年(寛保3)に経費節減のために一時閉鎖されました。現在のほぼ広島高等裁判所とNTT八丁堀ビルとの間付近に当たります。この学問所にあったと言い伝えられている土蔵が修道中学校・高等学校の敷地内に移築・復原されるに至りました経緯についてお話いたします。2010年(平成22)5月に建築家で古民家研究室代表の加藤早苗さんからのお話がきっかけでした。加藤さんは15年くらい前から広島市東区愛宕町にあった土蔵に着目されて研究を続けてこられました。かねて寺の門の修復や江戸時代末期の旧家の復原工事などを手掛けておられて、さらには建築金物までにも関心が広がり、骨董屋で江戸時代の阿波錠を見つけて、デザインの面白さに興味を持たれて様々な形の和錠を探し求めておられるうちに、古民家などの建築物にも目を向けられたのであります。そうした中で、広島市東区の旧西国街道沿いの愛宕町の土蔵を見つけられたのであります。この土蔵について、加藤さんが「和錠と宝尽くし図鑑」を自費出版され、その監修をしてもらわれた広島大学大学院文学研究科教授の三浦正幸先生に相談されました。2010年4月3日の中国新聞に三浦先生が「確定はできないが、良質な角材を使った梁や内部構造からみて広島城内の蔵にまず間違いはないだろう。歴史的建造物であり、解体してしまえば将来悔いを残す。」とコメントされておられます。加藤さんによれば、この土蔵は原爆で被災し、かなり老朽化しており、近く解体・撤去して、その場所に新たに建物を建てたいと所有者が言っておられるということでした。この土蔵の所有者である重谷昌江さんは、「曾祖父・広島藩士山口愛次郎が明治の始め、浅野の殿様から譲り受けた『ゴサンノクラ』は、お城の蔵だと言い伝えられている。この土蔵を保存してもらえるのであれば、無償で譲ってもよい。この土蔵をこれ以上このまま放置しておくことはできない。」と言われているということでした。山口愛次郎さんは、広島藩の正式な歴史を伝える「芸藩志」に「鼓手 三石」と記載されております。重谷昌江さんの祖母は、山口愛次郎さんの長女で、土蔵を相続されました。その土蔵を昌江さんが受け継いでおられたということでありました。加藤さんは、広島市の文化財担当部署に赴かれて、この土蔵は重要な文化財なので広島市で保管してもらえないだろうかと申し出られましたが、「学問所の土蔵であるという確証がなく、文化財に指定されていない。そのため予算づけはできない。」との回答であったとのことでした。そこで、土蔵を何とか保存できないであろうかと考えられた末、学問所に関係の深い修道ならと思われて修道に電話され、かねてご存知であった「修道学園史研究会」「伝学問所の土蔵移築・復原の意義」2015年11月1日に行いました290年祭特別記念講演会の講演内容を掲載しています。演 題:伝学問所の土蔵移築・復原の意義講演者:修道学園史研究会 会長 畠 眞實先生(元修道中学校・修道高等学校校長)場 所:修道中学校・修道高等学校 3階 大会議室修道の歴史

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